いつか僕らの愛が終わる時、心臓の音が止まる時が来る。そんなことなんて、一体あるのかななんて言いながら、今日もあなたのそばにいる。あなたへの愛の歌。ねえ知ってる、音は一度響いたら、宇宙のどこまでも広がっていくんだよ。世界で一番素敵な明日を、愛を信じて、ありったけの愛を、大好きと言えるまで、あなたのことを信じていたい。終わらないなんてこと、あるのかな。きっと世界は命が終わった後のラブレター。なんでもいいけど、生きているだけで心臓が動いているだけで、いいじゃんって思える日。
百年経っても、好きでいる自信はあるかい。僕はこの星に恋しているんだ。隣で笑ってくれているところから、生きているところまで、愛するということかもしれないから。愛っていうのは、そんなに小さなことでもないし、僕たちには理解できないほどの愛が、きっと世界には広がっているんだろうな。明日の私はそれほど、変われないとしても、それでも世界は愛でできているから、焦ることなんて必要ないんだと。超えていくことなんてしなくていいから、ずっとずっと一緒にいたいって思っているんだ。でもそれなら、おしゃれでありたい、センスよくありたい。人間として生きているからこそ、自分が純粋な愛を伝えるんじゃなくて、ちょっと捻って、ちょっと変化させて、収束させていたい。未来に恐れることがあったとしても、生活のことはわからないから、言動なんて気にしないで、僕らしく描いていればいいんだと。積み重ねた言葉よりも、愛を持って信じていた洗練された、シャープなものがいい。
なんだか真っ直ぐな愛って、あんまり魅力的じゃないんだよね。魅力的じゃないというか、真っ直ぐな愛は僕らが還れば勝手に感じられるものなんだから、人間として生きている限りは、クリエイティブに、自由に、制限があるからこそできることをしていたい。道になる前のアスファルトを整えるように、東へ西へ走り回って、生きていることを不満に思うことがないぐらい、立ち止まることも愛することも、劣等感に変えていくことが、本当に生きているってことなんじゃないかな。
「ちょっと、考えすぎよ。」
「そうか?でも人間として生きているなら、おしゃれでいたいじゃん。」
「愛を知った上で、それをすることはいいことかもね。」
「愛も結局先入観だと思うんだけど、美しさと尊さは感じたいよな。」
「風を纏って、虹になるから、いつも通りの言葉では信じられないくらい。」
「そりゃ俺ら、生きているからな。」
「植木が割れたら、あなたはどう思う?」
「愛だと思う、生きているなって思う。」
「だよねえ。わかる。」
「そういうところに生きているなって、感覚があるんじゃないかな。新しい日々、生きているところから、たった百万年しか生きていないから。」
「それ、覚えているの?」
「覚えているというよりかは、気分がいい、それを考えていると。」
雲の流れ、星の瞬き、幾つもの人生が終わりを迎えるところから、僕らまた始まって、せめて百万年ほどの幸せでいようと思えばいいじゃないか。込み上がっているところから、僕は何ができるんだろう。愛おしさが空に舞って、人生を噛み締めている時。僕たちは何年生きているんだろうか。永遠の存在だからこそ、今この瞬間は二度と来ない。再び僕ら、笑顔で溢れるように、お互いで、夢のかけらを忘れているんだから。果てない道、ところどころ、ちょっとだけ愛を感じて、僕ら生きているに違いない。
素晴らしき音楽が、僕の耳に街の外れから、聞こえてくるんだ。音に似ているもので、夜がある。無限で美しい言葉。人生を生きていれば、僕なりに考えること。星が一つ、涙が落ちること。紫陽花の花が、咲いているところ、丘の影に、片っ方のスニーカー。