桜前線が舞い散る人生の岐路。新しい人生が待っているとしても、きっと忘れることはないと、僕は君に言いかけた。新しい人生とは、一体いつから始まるのだろうか。生まれた瞬間がいちばん大きいとして、仕舞い込んでいる何かを全て捨て去って、帰路としての人生は何も生まれないことになるのだろうか。苦しんでいるところとか、どこかに置き忘れてきた感情とか、そういうのも、新しい人生というのではないだろうか。ちゃんと、拾っていく人生がいいな。僕の未来は、止まりながら進んでいる。言葉を詠うことは、何もかも忘れることではない。それは、人生を旅するというか、深くまで潜るというか、未来を手繰り寄せるというか。まわっている何かを掴むというか。僕らが散って残るのは、変わらない愛の詩なんだ。
大人になった分、わからなくなった。キラキラ舞っているラブソングを、僕には聴く権利がないと迫害して、人としての尊厳を失っていく。取り繕われる詩。ひらひら舞う悲しい詩。目の奥に誰もが信じている言葉を、今僕は信じることができないでいる。詩を書くということは、自分と心から向き合うこと。自分と心から対話すること。形を留められないところから、霞んでいる愛。深くまで問いを深めて、人生を見つめていくこと。この世の全て最悪で、最高なんだと知ること。愛の言葉を歌っても、何も響かない時がある。それは普遍的な音ではなくて、小さく頷いている光の粒。
強く美しく、自分が輝いているところから、人生をまた始めてみる。このままの自分が、何もかも失ってしまいそうで、怖かった。死神がついてくる何か。止まり木の彼方に、僕が輝いている。風が吹いて、夢の中じゃないところ。楽しいことばかりの人生じゃないけど、一番自分でいたかった。変わっていく日々が、微笑んでいるところを楽しんでみている。
ピードロを吹きながら思う。諦めたはずなのに、僕の夢はまだ自分の中で生きている。幸せが何かを信じて、語って、また信じて。つまりは、なんなのだろう。この一歩踏み出して、蛹のまま人生を終えていく。扉の先に何があるかなんて分からないから。
知らないふりをしていても、心が泣いているから、仕方ない。中途半端な言葉の綾にしがみついている人生が嫌だった。希望に加えて、何を人生とするんだろうか。迷いのまま、消滅していく世界。なんて美しいのだろうか。