人生なんて、言葉では語り切れないぐらいの重みがあるんだから、いちいち生きる意味なんて考えなくていいのは、その辺の川が言っていた言葉だ。海は生きる意味を問いただし、導いてくれたことを覚えている。確かに僕たちは断片的にしか生きられない。一分前の自分と同じ自分が今もいることなんて、誰にも証明できない。でもだからこそ、僕たちは生きているんじゃないのか。
たとえ人生が終わったとしても、歩くことができなくなったとしても、目が見えなくなったとしても、手足が動かなくなったとしても、言葉を紡いでいきたい。そう強く願っていることが僕の人生であり、言葉の権化であると思う。敬愛する恩師のことなんて、僕にとってはただの記憶と言いたい。全てはその時の自分がどう感じたか、その時の自分がどう生きたか、それだけなんじゃないかと思うんだ。
徐に思い出される過去を、無理やり美化しないでいい。自分だけが幸せであればいいこの世界で、何を一喜一憂しているんだ。言葉のことを学んで、色んな人生を蓄えて、心で感じて、愛を叫んでいればいいじゃないか、どこに居たって人は人、愛は愛。心の奥のことなんて、今はだれにも分からないから、いっそのこと思いっきり投げてしまえばいいじゃないか、生きづらいところに居ることが間違っているんじゃない。生きづらい言葉を使っているから、浴びているから何もかも失ってしまうんだ。
一時の願いだけで、人生が成り立てばいい。これは僕の願いだけど、本当はそうはいかないんだよな。きっとそう、きっとそう。